吉岡里帆は苦労人?アルバイト掛け持ちなど下積み時代のエピソードについてリサーチ!

今や多くのドラマや映画、CMで活躍する人気女優として知られている吉岡里帆さん。

そんな吉岡里帆さんですが、彼女の華やかな姿の裏には、想像を絶する苦労の日々があったようです。

吉岡里帆さんが「苦労人」と呼ばれる由縁となった下積み時代に焦点を当て、彼女がどのようにして夢を追い続けたのか、そしてその経験から何を得たのか知りたいところです。

そこで今回は、

  • 吉岡里帆の女優への道のり
  • 4つのアルバイトを掛け持ちした下積み時代
  • 吉岡里帆が苦労人と呼ばれる理由と得たもの

主にこの3つについて迫っていきます。

それでは早速本題に入りましょう!

目次

吉岡里帆の女優への道のり

出典:スポーツ報知

吉岡里帆さんは、何をきっかけに女優を目指すようになったのでしょうか?

吉岡里帆さんが女優を目指すきっかけとなったのは、18歳の時のある出来事でした。

当時、京都の嵐山でアルバイトをしていた彼女は、映画のエキストラの募集に応じます。

「8時間空を見上げる体力がある子はいないか」という撮影所からの依頼でした。

出典:BOOTH

この経験が彼女の人生を大きく変えることになります

映画撮影で監督から「東京においでよ」と言われたことをきっかけに、吉岡里帆さんは女優への道を本格的に目指すようになったのです。

しかし、その選択は決して楽な道のりではありませんでした

吉岡里帆さんは後に、こう語っています。

6月29日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』に、吉岡里帆が出演。下積み時代の苦労を明かした。

出身地である京都でアルバイトをしていた頃、エキストラで出演した映画の監督から「東京においでよ」と言われて上京を決めたという吉岡。

「そこから大変な生活が始まりました」と切り出すと、「お金ももちろんないですし、どういう風に道を切り開けばいいかもわからないので」「ワークショップ受けてみたり、オーディションいっぱい受けて養成所に行って、アルバイトしながらっていう感じが5年ぐらい続きました」と、下積み時代について明かした。

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4つのアルバイトを掛け持ちした下積み時代

出典:YouTube

女優への道を本格的に目指すようになったものの、その選択は決して楽な道のりではなかった吉岡里帆さんは、どのような下積み時代を経験したのでしょうか?

吉岡里帆さんの下積み時代は、まさに「苦労人」と呼ぶにふさわしいものだったそうです。

出典:ピクシブ百科事典

夢を追うための資金を稼ぐため、彼女は4つものアルバイトを同時に掛け持ちするという過酷な生活を続けていたとのこと。

吉岡里帆さんが経験したアルバイトは以下の通りです。

  • 歯科助手
  • 居酒屋の厨房
  • カフェ店員
  • ホテルの配膳係
  • 美術品搬送

特に歯科助手の仕事は、吉岡里帆さんにとって思い出深いものだったそうです。

同僚たちの優しさに助けられ、突然のオーディション参加でシフトを変更する際も協力してもらえたといいます。

同じ歯科医院で働く人は「優しい方ばっかり」だったという。「突然入ったオーディションの日とかは、代わってくださったりとか」と、急なシフト変更に対応してくれたことを感謝した。

出典:スポニチ
出典:タウンワーク

また、ホテルでの配膳係の仕事は、上京資金を貯めるために約1年間続けたとのこと。

大津プリンスホテルでクロークや配膳などを担当し、接客スキルを磨いていったそうです。

出典:おもてなしHR

吉岡里帆さんは当時を振り返り、次のように語っています。

4つのアルバイトを掛け持ちしていたこともあるといい、「睡眠時間を削って」「当時から、祖母の影響もあって歌舞伎とか演劇とかチケット高くても見に行きたいってすごく思ってたので、そのためにお金が必要だった」「あとワークショップだったり演劇のレッスン代とかもあって。4つ掛け持たないと全部は叶わないなと思って」とトーク。

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さらに、吉岡里帆さんの苦労は4つのアルバイトだけではとどまらなかったそうです。

週末になると夜行バスで京都から東京へ通い、オーディションや演技のワークショップに参加するという二重生活を約5年間続けていたとのこと。

出典:バス比較ナビ

この二重生活の詳細は以下の通りです。

  • 費用を抑えるため、往復は夜行バスを利用
  • 東京では漫画喫茶でシャワーを浴び身支度を整えてオーディションへ
  • 親には内緒で、「友達の家に泊まる」と伝え、東京に通っていた

大学に行き、小劇場の舞台や映画作りをし、深夜までアルバイトして、深夜バスで東京に行き、漫画喫茶でシャワーを浴びてからオーディションへ。そんな生活を約5年続けたという。

出典:マイナビニュース

吉岡里帆さんは当時の心境をこう語っています。

「行きのバスは希望がいっぱいで意気揚々だけど、帰りはいっぱい反省して、自分は何かすごい間違えを犯してるんじゃないかという気持ちで帰るから寝られなくて、ずっと外の景色を見ていた」と当時の心境を打ち明け、「迷いとか不安とか焦りとかいっぱいあった時期」と表現。自身のチカラウタが流れると涙し、「思い出します。夜の工場が見えて、この時間働いている人もいるんだな、全然まだ頑張れるなと」と語った。

出典:マイナビニュース

吉岡里帆が苦労人と呼ばれる理由と得たもの

出典:ACTRESS PRESS

吉岡里帆さんは、厳しい下積み時代の経験から得たものはあったのでしょうか?

吉岡里帆さんは、厳しい下積み時代を経験したことから「苦労人」と呼ばれることがあるそうです。

しかし、彼女自身は苦しさだけでなく、この時期に得たものも多かったと振り返っています。

「私はサービス業みたいなことをよくやっていたので」「この瞬間を楽しく過ごしていただきたいな、みたいなマインドがすごく鍛えられて。やれてよかったです」と、アルバイト時代の経験が今の活動に繋がっていると明かしていた。

出典:モデルプレス

特にホテルでの接客経験は、吉岡里帆さんの女優としてのキャリアにも大きな影響を与えました。

女優としての彼女の骨格を作ったのは、何も産まれ育った環境だけではない。 上京資金を得るために約1年間、某ホテルでアルバイトをし、そこで接客を学んだことが大きかったようだ。 吉岡本人も「人を楽しませるための気遣い、気配り、おもてなし。この3つは、今でも役者をやるうえで大事なことです」と語っているほどだ。

出典:otocoto
出典:iStock

また、歯科助手時代の同僚との関係は今も続いており、今でも応援してくれる人たちとの絆を大切にしています。

今でもそのころの仲間とは付き合いがあるといい、「皆さんが、(自分が)舞台に出たら観に来てくださったりとか、映画を観てくださったりとか。ずっと応援してくださっていて。あの時にできた人間関係が今も続いているという意味では、すごく思い出に残っています」と、しみじみ語った。

出典:スポニチ
出典:イラストエイト

約5年間の下積み期間を経て、2015年にNHK連続テレビ小説「あさが来た」で田村宜(のぶ)役を演じたことで、吉岡里帆さんは一躍注目を集めることになりました。

出典:Goo ブログ

丸メガネをかけた「のぶちゃん」役が視聴者の心をつかみ、その後の活躍への大きなステップとなったのです。

吉岡里帆さんは当時を振り返り、こう語っています。

吉岡さんは当時を振り返り、「夢がかなうかどうかも分からないけど、なぜか漠然と追いかけたいってすごく信じていた。自分のことも信じていたし、自分が追いかけている夢のことも信じていたので、大変は大変なんですけど生きている感じがすごくして、へこたれず頑張れました」と笑顔を見せた。

出典:MANTAN WEB
出典:デイリースポーツ

吉岡里帆さんの「生きている感じがした」という言葉からは、苦労の中にも充実感を見出していたことが窺えます。

彼女の輝かしい姿の裏には、想像を超える努力と忍耐があったのです!

まとめ

今回は、吉岡里帆さんが「苦労人」と呼ばれる由縁となった下積み時代に焦点を当て、彼女がどのようにして夢を追い続けたのか、そしてその経験から何を得たのかについてお伝えしてきました。

吉岡里帆さんの苦労人伝説は、4つのアルバイトを掛け持ちし、京都と東京を行き来する過酷な下積み時代から始まりました。

彼女の成功の裏には、睡眠時間を削りながら夢を追いかけた5年間の苦労の日々がありました。

しかし、この経験が今の吉岡里帆さんの女優としての土台を作り、多彩な役を演じられる実力派女優へと成長させたのです。

彼女の経験は、夢を追いかける人々にとって、大きな励みとなるでしょう。

これからの吉岡里帆さんの活躍にますます期待が高まります。

それでは、ありがとうございました。

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