2024年4月から「笑点」の新メンバーとして活躍し、落語界で注目を集めている立川晴の輔さん。
そんな立川晴の輔さんは、興味深い師弟関係と驚きの弟子入りエピソードがあるそうです。
また、立川晴の輔さんの師匠や弟子入りの経緯、そして落語立川流の厳しい掟についても知りたいところです。
そこで今回は、
- 立川晴の輔の師匠は誰?
- 立川晴の輔の弟子入りエピード
- 落語立川流の掟 ~厳格な昇進基準と家元による試験~
主にこの3つについて迫っていきます。
それでは早速本題に入りましょう!
立川晴の輔の師匠は誰?

まず初めに、立川晴の輔さんの師匠は一体誰なのでしょうか?
調べたところ、立川晴の輔さんの師匠は、立川志の輔さんであることが分かりました。
立川志の輔さんの落語に心酔して数年かがりで弟子入り
出典:フレグランスラボ

落語立川流の系譜でいえば、以下のような師弟関係になるようです。
- 立川談志(大師匠)
- ↓
- 立川志の輔(師匠)
- ↓
- 立川晴の輔
つまり、あの立川談志さんは、立川晴の輔さんにとって「大師匠」(祖父弟子)にあたる方なのです!

この系譜は、落語立川流の伝統と革新を体現しているといえるのでしょう。

立川晴の輔さんは着実にキャリアを積み重ね、今や落語界の中堅として確固たる地位を築いています。

立川晴の輔の弟子入りエピソード

立川晴の輔さんは、どのようにして立川志の輔師匠に弟子入りしたのでしょうか?
立川晴の輔さんの弟子入りするまでのエピソードは、まさに「ストーカー入門」と呼べるほどの粘り強さが特徴です。
その詳細を見ていきましょう。
志の輔師匠との運命の出会い
立川晴の輔さんは、東京農業大学1年生の時、渋谷の東邦生命ホールで志の輔師匠の独演会を初めて観たそうです。

その時の感動を、次のように語っています。
「本当にたまたま観に行ったんですが、もう観終わった後は、映画を1本見終えた以上の感動と満足度だったんですよ。ハリウッド映画は何十億もかけて、すごい俳優を集めて、スタッフを集めて、1本作るわけじゃないですか。それを2時間観て感動と満足を得る。でもうちの師匠はたった一人で、座布団の上ではなすだけです。それなのに、映画以上の感動で、もう終わった後、僕は客席から立てなくなってしまったほどでした。」
出典:Frag Lab フレグランス ラボ
4年間の粘り強い追跡
しかし立川晴の輔さんは、直ぐに弟子入りはせず、4年間にわたって毎月志の輔師匠の独演会に通い続けたそうです。
弟子入りは大学を卒業してからですね。せっかく親が高い学費を出してくれたのに卒業しないと悪いと思いまして。卒業するまで師匠の独演会に毎月通って、気持ちが変わらなければ本物、その間に気が変われば自分の気持ちは所詮その程度と思うようにしてたんですけど、4年間で1ミリも気持ちが変わりませんでしたので。
出典:Asagai plus

「ストーカー入門」の始まり
大学卒業後、立川晴の輔さんは志の輔師匠に弟子入りするため驚くべき行動を取ったそうです。
① 志の輔師匠の自宅を4年かけて探し当てる
ネットもない時代ですから、4年かけて探しました。独演会で師匠の落語を聴いてると、時々ポロっと近所の地名を言うことがあるんですよ。そこから手探りで4年かけて。
出典:Asagai plus

② 文化放送の朝のワイド番組に出演する師匠を毎日待ち伏せ
うちの師匠は文化放送で朝のラジオをやってまして、6時頃にハイヤーのお迎えが来るんです。それで履歴書を持って、師匠が出てきたら土下座しようと思ってたんですけど。
出典:Asagai plus

③ 3日間通い続け、ようやく事務所での面接にこぎつける
それで、その後はご自宅はご迷惑だろうと、文化放送の入口で毎朝「おはようございます、弟子にしてください」。放送が終わって出てきた時に、「お疲れさまです、弟子にしてください」っていうのを3日ぐらい続けて、それから事務所に呼ばれて面接していただきました。
出典:Asagai plus

運命の面接
志の輔師匠は、立川晴の輔さんに対し面接でこのように言ってます。
俺も談志に取ってもらって今があるから断る理由はない
出典:Asagai plus
そして、志の輔師匠は「そこらへんにいろ」と立川晴の輔さんに言って車のキーと事務所の鍵を渡したそうです。
立川晴の輔さんは、この「そこらへんいいろ」の意味をこう解釈しています。
『そこらへんにいろ』というのは、うまくやれ、ってことなんですよ。近いと鬱陶しいし、遠いと何のためについてるんだという、その距離感を、うまくやれ、という意味。
出典:フレグランスラボ
この「うまくやれ」は、落語立川流では“入門許可”を意味する言葉とのことで、立川晴の輔さんは晴れて志の輔師匠の弟子になれたのでした。

落語立川流の掟 ~厳格な昇進基準と家元による試験~

立川晴の輔さんが入門した落語立川流の昇進基準とはどのようなものなのでしょうか?
落語立川流には、厳格な昇進基準があるそうです。
前座から二ツ目、二ツ目から真打ちへの昇進には、以下のような条件があるとのこと。
他団体では真打ち、二つ目への昇進基準が「ほぼ年数」というざっくりとしたものに対し、師匠談志存命中の立川流では非常に確固たる昇進基準を設けていました。
「二つ目」の昇進基準は「古典落語五十席に歌舞音曲」、「真打ち」は「古典落語百席に、二つ目より精度の高い歌舞音曲」とハッキリしています(実はこの昇進基準が、見様によっては師匠のその日の気分によって変化してしまうように見えてしまうのが、より複雑にさせることになってしまうのです。
出典:BEST TIMES
これらの基準は明文化されているわけではなく、弟子によって解釈の違いがあるものの、特に「談志の認める価値観」という部分で多くの弟子がつまずくと言われています。

家元・談志による二ツ目昇進試験
特筆すべきは、家元である立川談志さんによる二ツ目昇進試験です。
立川晴の輔さんは入門5年目に、上野の料亭で家元の立川談志さんの厳しい試験を受けたとのこと。
「僕が入門して5年目のとき、師匠の志の輔が落語や踊り、唄を見て『二ツ目にする』と言ってくれたんです。それを家元に報告に行ったら『わかった』と。
その10日後に、家元がうちの師匠に『ちょっとその孫弟子を見してみろ』と一言。」
出典:フレグランス ラボ
踊り、唄、講釈、落語など多岐にわたる芸を披露させられ、緊張からミスをするなど厳しい試験でしたが、無事に合格したそうです。
落語立川流の教えとは
落語立川流の教えの根底には、「馬鹿になりたくない」という精神があるようです。
立川談志さんの弟子の一人で、テレビやラジオでも活躍中の立川志らく師匠が次のように話しています。
落語界、それも立川流という閉じられた空間に入ったからには、それ相当の覚悟が必要だ。どこにでも馬鹿はいる。しかし、閉じられた特殊空間にいる馬鹿ほど怖いものはない。
出典:立川志らくの怒らないでください
馬鹿と群れた方が楽だ。でも自分がなんのためにその世界に来たのかを考えたら、楽な方を選ばず、初心を貫き通さないと、あっという間に、自分の目的も存在意義も見失うのである。
単に技術を習得するだけでなく、本質的に芸を愛し、師匠の価値観に共感し、追求する姿勢を重視しなさいという教えのようですね。

また、立川談志さんは弟子たちに「落語家になったのだから、歌舞音曲が好きなはずだ。こういったものを好きになれないのならば、落語家には向いていない」と言っていたそうです。
この話についても立川志らく師匠は次のように話しています。
駄目な弟子は、つまりは師匠に興味がないのである。もともとはあったのだが、この空間に慣れてしまい、他に興味がいってしまったのだろう。
出典:立川志らくの怒らないでください
立川晴の輔さんは、家元立川談志さんの弟子に対する教育法を次のように話しています。
もともと談志師匠の弟子への教育法は「弟子は不快にする。嫌なら辞めちまえ、それか抜けて行け!」。
それは立川流の教えなのです。
出典:フレグランスラボ

あの「笑点」の創始者は誰かと言いますと立川談志さんなのです。
立川晴の輔さんと交代した林家木久蔵さん、亡くなられた桂歌丸さんや五代目三遊亭円楽さんらと共に、現在の笑点の原型を作り上げた方であります。
「革命家」や「反逆児」とも呼ばれていたみたいですが、落語界では影響力のある落語家だったのですね!
まとめ
今回は、立川晴の輔さんのの師弟関係と弟子入りエピソードをお伝えしてきました。
立川晴の輔さんは、その粘り強さと情熱は、落語立川流の厳しい伝統と掟に裏打ちされたものだと言えるでしょう。
立川志の輔師匠への強い憧れと4年間にわたる粘り強い追跡、そして家元・談志師匠の厳しい試験を乗り越えた経験は、現在の晴の輔さんの芸風を形作る重要な基盤となっています。
落語立川流における師弟関係の本質は、単なる技術の伝承だけではなく、師匠の世界観や価値観を理解し、共感することにあります。
師匠の芸を常に学び続け、その高座から目を離さず、自分の芸の糧にする。
これこそが落語立川流の真髄であり、立川晴の輔さんも志の輔師匠から受け継いだ姿勢だと言えるでしょう。
2024年から「笑点」の新メンバーとなった立川晴の輔さん。
今後の活躍にも、落語立川流の精神が息づいていることでしょう。
これからの彼の成長と活躍に、ますます注目が集まりそうです。
それでは、ありがとうございました。
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