外国出身力士の活躍は珍しくなくなった大相撲の世界で、新たな注目を集めているロシア出身力士の狼雅。
そんな狼雅関ですが、来日から新入幕までの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
狼雅関の来日から新入幕までの軌跡と、彼が乗り越えてきた苦労について知りたいところです。
言葉の壁、文化の違い、そして相撲部屋での厳しい生活、これらすべてを乗り越え、ついに夢を実現させた狼雅関の物語は、多くの人々に勇気と希望を与えるものです。
そこで今回は、
- 狼雅のロシア出身背景と来日のきっかけ
- 来日後の言葉の壁と相撲留学での苦労
- 大相撲入門から新入幕までの道のり
主にこの3つについて迫っていきます。
それでは早速本題に入りましょう!
狼雅のロシア出身背景と来日のきっかけ

ロシア出身の狼雅関は、どういう人物で、どういった経緯で来日したのでしょうか?
まずは、狼雅関の基本的なプロフィールから見ていきましょう。
- 本名:アマルトゥブシン・アマルサナー
- 出身地:ロシア連邦トゥヴァ共和国クズル出身
- 生年月日:1999年(平成11年)3月2日(26歳)
- 所属:二子山部屋
- 来日年:2015年(平成27年)4月
- 初土俵:2018年(平成30年)11月場所
- 新十両:2022年(令和4年)11月場所
- 新入幕:2023年(令和5年)11月場所
彼の生い立ちは、まさに国際色豊かなものですね。
父親がブリヤート人、母親がロシア人という複雑な背景を持つ狼雅関は、14歳までロシアで過ごしたそうです。

その後、父親の希望でモンゴルに移住し、国籍もモンゴルに変更するという経験をしているとのこと。

この多様な文化的背景が、後の相撲人生にも大きな影響を与えることになっているようです。
15歳で来日した狼雅関。

その決断の裏には、相撲への憧れと、日本で成功したいという強い思いがありました。

しかし、彼を待ち受けていたのは、想像以上の困難でした。

来日後の言葉の壁と相撲留学での苦労

来日してからの狼雅関の生活はどうだったのでしょう?
来日直後、狼雅関が直面した最大の障壁は言語の壁だったようです。

15歳で来日した彼は、日本語はおろか、モンゴル語さえも理解できない状態でした。

この経験について、彼は後のインタビューで次のように語っています。
「15歳の頃、モンゴル語も日本語も知らずに来日しました。これが一番大変でした。誰かに話しかけることも、友人を見つけることもできなかったのですから。それで、最初に日本語学習に取り組みました。言葉がわかることで(学校での)勉強の負担が劇的に軽くなり、稽古も遥かに容易になりました」
2015年(平成27年)4月、狼雅関は鳥取城北高校へ相撲留学を開始します。

ここでの生活は、言語習得と日本文化理解の貴重な機会となったようです。

しかし、相撲力士としての成長にも大きな課題があったとのこと。
入学当初、彼の体重はわずか80kg程度だったそうです。

力士として成功するためには、大幅な増量が必要でした。

1年間で30kg以上の体重増加を達成した狼雅関ですが、この急激な体の変化に適応するのは容易ではなかったようです。
しかし、当時を知る関係者は「入学当初は線が細かった」と、話していて、入学当時は「男子部員どころか、女子部員にも負けっぱなし。それでも毎日の稽古とちゃんこで着々と体重を増やし、高校3年間で30
キロ太りました。
出典:大相撲をより楽しく見るためのブログ
しかし、彼の努力は実を結びます。

高校3年次の全国高校総体では、個人戦決勝で現在の豊昇龍に勝利。

外国人として初めて高校横綱のタイトルを獲得する快挙を成し遂げたのです。
大相撲入門から新入幕までの道のり

高校を卒業して大相撲の世界に進んだ狼雅関は、新入幕まで順調にいったのでしょうか?
2018年(平成30年)4月、狼雅関は二子山部屋に入門し、プロの相撲人生をスタートさせました。

師匠は、あのテレビ番組「嗚呼‼みんなの動物園」に出演されている猫大好きの二子山親方(元大関雅山)です。

同年11月場所で初土俵を踏み、その後の成長は目覚ましいものでした。
彼の番付上昇の軌跡を見てみましょう。
- 2019年(平成31年)1月場所:序ノ口優勝(7戦全勝)
- 2019年(平成31年)3月場所:序二段優勝(照ノ富士との優勝決定戦を制して)
- 2022年(令和4年)11月場所:新十両昇進(入門から4年)
- 2023年(令和5年)11月場所:新入幕(ロシア出身6人目)
しかし、この順調に見える昇進の裏には、大きな苦労があったようです。
特に幕下時代は、狼雅関にとって最も厳しい時期だったと言えるでしょう。
新十両昇進時、彼は次のように振り返っています。
入門から4年。「何度もチャンスがあったのに、自分が弱かったので決められなかった。決まってうれしいです。」
出典:中日スポーツ
師匠の二子山親方も、「幕下上位できつい土俵が続いた中で、ようやく上がった」と、安堵の表情を見せています。

そして2023年(令和5年)11月場所、狼雅関はついに新入幕を果たしました。

この時の心境を、彼は以下のように語っています。
「素直に嬉しいです。これからも、しっかりもっと稽古して、もっと強くならなきゃいけないなと感じました。初土俵も九州(場所)だったので。新十両も九州だったので。今場所も、新入幕も九州だったので嬉しいですね。」
出典:note・白梅虎
同級生が土俵上で活躍する中、幕下で踏ん張り続けた狼雅関。
その粘り強さと努力が、ついに実を結んだのですね。

まとめ
今回は、狼雅関の来日から新入幕まで、多くの苦労と挑戦に満ちたエピソードについてお伝えしてきました。
ロシア出身力士としての来日から新入幕までの道のりは、決して平坦ではありませんでした。
言葉の壁、体重増加の苦労、そして幕下での苦闘など、多くの困難を乗り越えてきました。
彼の経験は、言語の習得が相撲生活の基盤となり、体重増加と体の変化への適応が力士としての成長に不可欠だった、そして幕下での粘り強い努力が最終的な成功につながっています。
狼雅関の物語は、異国の地で夢を追いかける若者たちに、大きな勇気と希望を与えるものです。
彼の今後の活躍が、さらに多くの人々に感動と励ましを与えることでしょう。
相撲界に新たな風を吹き込む狼雅関の今後の成長に、大いに期待が高まります。
それでは、ありがとうございました。
コメント