大相撲の世界では、力士たちの驚くべき食事量や体格がよく話題になりますが、今回は少し違った角度から注目を集める力士がいます。
それが、岩手県盛岡市出身の錦木です。
錦木関と言えば、その驚異的な酒豪ぶりで知られており、大相撲界でも屈指の酒好き力士として有名なのです。
錦木関の酒豪伝説と、その背景にある出身地・岩手県盛岡市の酒文化についても知りたいところです。
そこで今回は、
- 錦木の驚異的な酒豪ぶりとエピソード
- 岩手県盛岡市の豊かな酒文化
- 錦木の酒好きが相撲人生に与える影響
主にこの3つについて迫っていきます。
それでは早速本題に入りましょう!
錦木の驚異的な酒豪ぶりとエピソード

錦木関のお酒の飲み方は、いかがなものなのでしょうか?
錦木関の酒豪ぶりは、まさに伝説級です。
その飲酒量と習慣は、多くの人を驚かせています。
「もはや、週8くらいで飲んでいます」。新十両昇進を果たした4年前あたりから、場所中も含めて毎日1口でも飲んでしまうとか。酒量は焼酎だと1日5合ほど。「体調が悪いときや外出しているときを除いていつも飲んでいる。体がなぜか欲してしまうんです」。
出典:日刊スポーツ
「週8くらいで飲んでいます」は毎日飲むことはもちろん、一日に二度飲むこともあるという意味が込められているのでしょう。

これは一般的な成人男性の平均的な飲酒量をはるかに超えており、まさに「酒豪」の名にふさわしい量と言えるでしょう。

錦木関のお酒の好みについても興味深い特徴があります。
好きなお酒は芋焼酎で、「質より量」をモットーにしているそうです。
この「質より量」という考え方は、錦木関の飲酒スタイルをよく表していると言えるでしょう。

錦木関の酒好きぶりは、相撲の成績にも良い影響を与えているようです。
2019年(平成31年)1月場所で横綱・鶴竜を破った際、錦木関の健康の秘訣として「お酒」が挙げられました。

13年間休場なしという驚異的な記録の裏には、実は日々の飲酒習慣があったのかもしれません。
休まない秘訣は「無理をしないこと」と、もう一つは「ストレス発散法を見つけること」。それは「お酒」です。巡業中は独りでふらりと、地元の居酒屋に入って地元のお酒を飲むのがいちばんの楽しみで、場所中も晩酌を欠かさないとか。
出典:ニッポン放送 NEWS ONLINE
さらに興味深いのは、場所中でも酒は欠かせないという点です。
2020年(令和2年)春場所でコロナ禍により初めて場所中の外出禁止令が出た際、夜の過ごし方を聞かれた錦木関は、「部屋で映画を見てますよ。飲みながら見るしかないでしょ」と答えています。
この返答からも、錦木関にとってお酒が日常生活に深く根付いていることがうかがえます。

「勝っても負けてもお酒は美味しい」というのが錦木関の口癖だそうです。
この言葉からは、お酒が錦木関にとって喜びの源であり、同時にストレス解消の手段でもあることが感じられます。

同期力士との飲み会でも、錦木関の酒豪ぶりは際立っています。
同期生の竜電、松鳳山、千代の国とよく飲みに行くそうですが、松鳳山と千代の国はほとんど飲まず、竜電も少量しか飲まないため、4人の中では錦木が「圧倒的に酒豪」とされているのです。
しかし、このような酒豪ぶりが注目されすぎることに、錦木関自身が困惑したこともあったようです。
一時期は取材で酒のことばかり聞かれることに「取材で酒のことばかり聞かれる」とぼやいたこともあったそうです。

これは、錦木関が力士としての実力や成績よりも、酒豪としての側面ばかりが注目されることへの不満を表していたのかもしれません。
岩手県盛岡市の豊かな酒文化

錦木関の酒豪ぶりの背景には、何があるのでしょう?
錦木関の酒豪ぶりの背景には、彼の出身地である岩手県盛岡市の豊かな酒文化があると考えられます。

盛岡市は伝統的な酒どころとして知られており、その歴史と文化が錦木関の酒好きを育んだ可能性があります。
盛岡市には歴史ある酒蔵が点在しています。

例えば、菊の司酒造は1772年創業で岩手県最古の酒蔵として知られています。

また、あさ開は盛岡市大慈寺町に本社を置く老舗酒造であり、地元に根付いた酒造りを続けています。

さらに、赤武酒造は東日本大震災後に盛岡市に移転し、若手中心の新しい酒造りに挑戦しています。

桜顔酒造は伝統の南部杜氏が醸す地元密着型の酒造として知られています。

これらの酒蔵の存在が、盛岡市の豊かな酒文化を支えているのです。
岩手県は「南部杜氏」発祥の地としても有名です。

南部杜氏は日本最大の杜氏集団を擁する酒造りの聖地として知られており、藩の協力のもと酒造りの技術を磨いてきました。

現在でも南部杜氏は岩手の酒造業界の中核を担っており、その伝統と技術が地元の酒文化を豊かなものにしています。

盛岡市の酒造りには、地元の自然環境も大きく貢献しています。
市内を流れる清流・中津川の伏流水を仕込み水として使用することで、品質の高い日本酒が生み出されているのです。

近年では、「オール岩手」にこだわった地酒作りも盛んになっています。
米、酵母、麹、水のすべてを岩手県産で賄う酒造もあり、地元の誇りと伝統を守りながら新しい挑戦を続けているのです。

2024年(令和6年)12月には日本の「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録され、岩手の酒造業界も大きな喜びに沸きました。

この登録は、岩手県の酒造りの伝統と技術が世界的に認められたことを意味し、地元の酒文化にさらなる誇りをもたらしたと言えるでしょう。

錦木の酒好きが相撲人生に与える影響

錦木関の酒好きは、本人に何か影響があるのでしょうか?
錦木関の酒好きは、単なる個人的な嗜好にとどまらず、彼の相撲人生にも大きな影響を与えているようです。
先述の通り、13年間休場なしという驚異的な記録の裏には、日々の飲酒習慣があったと言われています。
初土俵は、2006年3月の春場所。それから13年、コツコツ努力を重ね、横綱・大関と当たる位置まで番付を上げてきた錦木。その間、休場が一度もないのが自慢です。
休まない秘訣は「無理をしないこと」と、もう一つは「ストレス発散法を見つけること」。それは「お酒」です。
出典:ニッポン放送 NEWS ONLINE
一般的に、アスリートにとって過度の飲酒は体調管理や競技パフォーマンスに悪影響を及ぼすと考えられています。
しかし、錦木関の場合は逆に、適度な飲酒がストレス解消や気分転換に役立ち、結果として長期間の安定した相撲生活につながっている可能性があります。

「勝っても負けてもお酒は美味しい」という錦木関の言葉は、彼の相撲に対する姿勢も表しているかもしれません。
勝敗に一喜一憂せず、常に前を向いて相撲に取り組む姿勢が、この言葉に込められているのではないでしょうか。

また、錦木関は盛岡市出身としては実に63年ぶりの関取誕生という快挙を成し遂げています。
岩手県出身としては四ツ車以来およそ6年ぶり、盛岡市出身としては実に63年ぶりの関取誕生であった
出典:Weblio辞書
この事実は、彼が地元の期待を一身に背負いながら相撲道を歩んでいることを示しています。

その中で、地元の豊かな酒文化に根ざした飲酒習慣が、錦木関にとって心の支えとなっている可能性も考えられます。

ただし、錦木関の酒豪ぶりが注目されすぎることへの不満を漏らしたこともあったように、彼自身は力士としての実力や成績で評価されたいという思いもあるでしょう。

酒豪としてのイメージと力士としての実力のバランスを取ることが、今後の錦木関の課題となるかもしれません。
まとめ
錦木関の酒豪伝説は、彼の個人的な嗜好と出身地・岩手県盛岡市の豊かな酒文化が融合して生まれたものだと言えるでしょう。
毎晩焼酎5合を飲むという驚異的な飲酒量や、「週8日飲む」という冗談めいた表現は、錦木関の酒好きぶりを象徴しています。
岩手県盛岡市の伝統ある酒造業と南部杜氏の文化は、錦木関の酒好きの背景として重要な役割を果たしています。
地元の豊かな酒文化が、錦木関の酒豪としての素質を育んだと考えられます。
錦木関の酒好きは、彼の相撲人生にも影響を与えており、13年間休場なしという記録の裏には日々の飲酒習慣があったとされています。
しかし、酒豪としてのイメージが強調されすぎることへの不満も垣間見えており、力士としての実力で評価されたいという思いもあるようです。
錦木関の酒豪伝説は、今後も大相撲ファンの間で語り継がれていくことでしょう。
同時に、彼が力士としてさらなる高みを目指す姿にも注目が集まることを期待したいと思います。
それでは、ありがとうございました。
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