大相撲の世界で活躍する力士たちの中には、様々な経歴を持つ選手がいます。
その中でも、大学を中退してプロの道を選んだ力士として注目を集めているのが翠富士関です。
そんな翠富士関ですが、なぜ彼は大学を中退してまでプロの道を選んだのでしょうか?
プロの相撲界に進んだきっかけや、どのような出会いが彼の人生を大きく変えたのかについても知りたいところです。
そこで今回は、
- 翠富士の大学生活と退学の決断
- プロ相撲界を目指した理由
- 伊勢ケ濱親方との運命的な出会い
主にこの3つについて迫っていきます。
それでは早速本題に入りましょう!
翠富士の大学生活と退学の決断

翠富士関は、なぜ大学を中退してまでプロの道を選んだのでしょうか?
調べたところ、翠富士関は近畿大学に進学し、1年次に全国学生相撲個人体重別選手権大会100㎏未満級で優勝の実績を残しましたが、2年次に相撲部を退部し、大学も退学したとのことです。
高校卒業後は近畿大学経営学部に進学し、1年次には全国学生相撲個人体重別選手権大会100kg未満級で優勝の実績を残したが、2年次に相撲部を退部し、大学も退学した。
出典:イッツ・ア・相撲ワールド
この決断には、彼の将来を見据えた深い考えがあったようです。
大学生活での気づき
大学2年生になった翠富士関は、後輩が入学してきたことで少し余裕ができた時期だったと回想しています。
この時期に、彼は自身の将来について真剣に考え始めました。

そして出た答えが、以下のとおりです。
このまま卒業までの3年間大学に通って、たとえ何かのタイトルを獲得したとしても、プロ入りしたら幕下15枚目からのスタートです。「いますぐプロになれば、3年間でそこまでいけるのではないか。プロに入ったほうがいいな」そう考えて、大学2年の6月に大学を辞めてプロの力士になることを決めました。
出典:わたしの決断物語

この言葉からわかるように、翠富士関は大学生活を送りながらも、常にプロの相撲界を意識していたのですね。
時間の有効活用を考えた決断
翠富士関は、大学卒業までの残り3年間を待つよりも、すぐにプロ入りしてその3年間でキャリアを積み上げたほうが有利だと判断しました。

「いますぐプロになれば、3年間でそこまでいけるのではないか。プロに入ったほうがいい」という考えのもと、2年生の6月に大学を辞めることを決意したのです。

この決断は、彼の相撲人生において非常に重要な転機となったようです。
プロ相撲界を目指した理由

翠富士関がプロの相撲界に進んだきっかけは何だったのでしょうか。
調べたところ、翠富士関がプロの相撲界を目指した背景には、いくつかの要因がありました。
相撲への情熱
翠富士関は幼い頃から相撲に親しんでおり、その情熱は大学生になっても衰えることはなかったそうです。
静岡県焼津市で生まれ育った自分がはじめて相撲をとったのは、小学校2年生のときに出場した地域の相撲大会です。そこで自分は準優勝。
出典:わたしの決断物語

大学相撲部での経験を通じて、彼のプロへの憧れはさらに強くなっていったようです。

キャリアプランの再考
翠富士関は、大学相撲とプロ相撲の違いを冷静に分析しています。

大学で成功を収めても、プロでの地位は限られていることを理解し、早期にプロ入りすることでより高い地位を目指せると考えたのです。
このまま卒業までの3年間大学に通って、たとえ何かのタイトルを獲得したとしても、プロ入りしたら幕下15枚目からのスタートです。「いますぐプロになれば、3年間でそこまでいけるのではないか。プロに入ったほうがいいな」そう考えて、大学2年の6月に大学を辞めてプロの力士になることを決めました。
出典:わたしの決断物語
この分析は、彼の決断を後押しする大きな要因となったのでしょう。

挑戦する勇気
大学を中退してプロの世界に飛び込むことは、大きな勇気が必要な決断となります。

翠富士関は、自身の可能性を信じ、未知の世界に挑戦する勇気を持っていたのですね。
この勇気が、彼をプロの相撲界へと導いたのです。
伊勢ケ濱親方との運命的な出会い

翠富士関には、どのような出会いがあって、彼の人生を大きく変えたのでしょうか。
翠富士関のプロ入りを決定づけたのは、伊勢ケ濱親方(第63代横綱・旭富士)との出会いでしょう。

この出会いは、まさに運命的なものだったのですね。
20歳の誕生日での偶然の出会い
大学を退学後、地元の静岡県焼津市に戻った翠富士関。
彼は友人との生活を楽しみながらも、将来への迷いを抱えていたようです。
大阪から一度地元の焼津に戻り、入門する部屋の検討を始めました。でも、地元の友達と遊んでいるうちに楽しくなってしまったんです(笑)。
出典:わたしの決断物語
「やっぱり地元は楽しいな。力士にならず、ここで働いてもいいのかな……?」
そんな考えが頭をよぎることもありました。

「忘れもしない、あれは自分の20歳の誕生日でした」と翠富士関は振り返ります。
この特別な日に、伊勢ケ濱親方が焼津市を訪れたのだそうです。

そんなとき、伊勢ケ濱親方(第63代横綱・旭富士)が静岡にやって来ました。忘れもしない、あれは自分の20歳の誕生日でした。その日は夜に地元の友達がお祝いをしてくれることになっていました。
出典:わたしの決断物語
親方に「ちょっと話したい」と言われ、「時間がないんですけど、少しでも大丈夫ですか?」と聞くと、「少しでいいから」と。しかし結果的に、話は2時間以上に及びました。
親方の熱意あるスカウト
当初、翠富士関は伊勢ケ濱部屋に対して厳しいイメージを持っており、入門を考えていなかったようです。

しかし、親方の熱意ある説得が彼の心を動かしたとのこと。
「今日俺は、いいと言うまで帰らないから」と、親方は2時間以上にわたって熱心に翠富士関を説得したそうです。

母親や高校時代の恩師も同席する中、親方の熱意に押され、翠富士関は「わかりました。伊勢ケ濱部屋に入ります」と決意したのです。

「ここに入らない理由は何だ?」と親方に聞かれ、1つ1つ挙げていくのですが、すべて親方に論破されてしまう。「確かにそうだな……」という気持ちと、「いや、自分の人生がかかっているのだから、やっぱり伊勢ケ濱部屋はない」という思いが交錯していました。
出典:わたしの決断物語
「今日俺は、いいと言うまで帰らないから」と親方は言う。携帯には友達から大量の着信が入り続けていました。「わかりました。伊勢ケ濱部屋に入ります」
運命を感じた瞬間
翠富士関は後に「もし親方が来たのが自分の誕生日でなければ、伊勢ケ濱部屋には入っていなかったかもしれません」と語っています。
もし親方が来たのが自分の誕生日でなければ、伊勢ケ濱部屋には入っていなかったかもしれません。
出典:わたしの決断物語
この偶然の出会いが、彼のプロ力士としての道を決定づけたのですね。

まさに運命的な出会いと言えるでしょう。

まとめ
今回は、翠富士関がなぜ大学を中退してまでプロの道を選んだのか、プロの相撲界に進んだきっかけ、どのような出会いが彼の人生を大きく変えたのかについてお伝えしてきました。
翠富士関が大学2年で退学した理由とプロ入りのきっかけは、彼の将来を見据えた戦略的な決断と、運命的な出会いによるものでした。
大学生活での気づきから、時間の有効活用を考えて退学を決意した翠富士関。
そして、20歳の誕生日という特別な日に伊勢ケ濱親方と出会い、プロの道を歩むことを決めたのです。
彼の決断は、「プロの力士になった決断は大正解だった」と本人が振り返るように、相撲人生において重要な転機となりました。
翠富士関の物語は、人生の岐路に立たされたときの勇気ある決断と、運命的な出会いの大切さを教えてくれます。
現在、彼は体格は小さめながらも、肩透かしを得意技として活躍しています。
これからの翠富士関の相撲人生にも、大いに注目していきたいですね。
それでは、ありがとうございました。
コメント