大相撲の世界で、異国からやってきた力士たちの活躍は常に注目を集めています。
その中でも異色の経歴と急速な成長で多くのファンを魅了しているのが、カザフスタン出身の金峰山。
そんな金峰山関ですが、元横綱・朝青龍との運命的な出会いをきっかけに来日し、わずか5場所で十両に昇進、さらに2023年(令和5年)3月場所では新入幕を果たすという快進撃を見せています。
金峰山関のカザフスタンからの来日エピソードや四股名に込められた思いなどが知りたいところです。
そこで今回は、
- 金峰山のカザフスタンからの来日エピソード
- 四股名「金峰山 晴樹」に込められた思い
- カザフスタン出身力士としての快進撃と注目度
主にこの3つについて迫っていきます。
それでは早速本題に入りましょう!
金峰山のカザフスタンからの来日エピソード

金峰山関の相撲人生は、何がきっかけで始まったのでしょうか?
調べたところ、彼の相撲人生は、元横綱・朝青龍との出会いから始まったようです。
母国で柔道をしていたところ、たまたま現地を訪れていた元横綱朝青龍の目に留まり、18歳で現在の目黒
出典:日刊ゲンダイDIGITAL
日大高に編入したのは有名な話。
2016年(平成28年)、当時18歳だった金峰山関は、母国カザフスタンで柔道選手として活動していました。

そんな彼の目に留まったのが、カザフスタンを訪れていた朝青龍でした。
身長約2メートル、体重130キロという恵まれた体格を見た朝青龍は、「相撲をやるべきだ」と金峰山関を勧誘。
この一言が、彼の人生を大きく変えることになったそうです。

来日前の2016年(平成28年)2月、アルマトゥイ・テレビのインタビューで金峰山関は次のように語っています。
「責任の重さを自覚しています。家族と国全体が私を信頼していますから。力士になる希望を叶えるため全力を尽くします。恐れはありません。前進あるのみです。朝青龍明徳氏は私を信じてくれました。彼は、自分がどれほど優れているかを皆に証明した、押しも押されぬモンゴル出身横綱です。そのような高みに到達することが私の夢です
出典:note
2016年(平成28年)3月、金峰山関は来日、東京の日出高校(現・目黒日本大学高校)に編入し、初めて相撲に取り組みました。

当初は「何のスポーツだろうと思っていて、気持ちや技もいろいろと分からなかった」と本人が語るように、相撲の世界は未知のものだったそうです。
元横綱・朝青龍関の紹介で日出高校(現・目黒日大高校)に編入し、初めて相撲の手ほどきを受けた。
出典:note
しかし、柔道で培った基礎体力と身体能力を活かし、着実に力をつけたとのこと。

高校卒業後は、日本大学スポーツ科学部に進学し、日大相撲部で活躍しています。

大学3年時(2019年度)には全国学生相撲選手権団体優勝、全日本選手権個人準優勝と輝かしい成績を残しています。
カザフスタン出身の金峰山は、日本の高校に留学して、その後、日大相撲部に進んで相撲を磨いた実力者です。
出典:デイリー新潮

四股名「金峰山 晴樹」に込められた思い

金峰山という四股名には、どういった思いが込められているのでしょうか?
大学卒業後、金峰山関は日大の勧めで大相撲の道へ進むことになり、日大OBが師匠を務める木瀬部屋に入門しました。
三段目付出資格を得て木瀬部屋に入門。
出典:note

そして、彼の四股名「金峰山 晴樹(きんぼうざん はるき)」が決まりました。
この四股名には、二つの重要な意味が込められているようです。
一つ目は、「金峰山」という名前です。
これは師匠である11代木瀬(元幕内・肥後ノ海)の故郷・熊本県にある金峰山に由来しているとのこと。
この「金峰山」は標高665メートルの山で、本人は「富士山ぐらいのスケールだと想像していたが、実際に足を運んで高尾山ぐらいのスケールと知ってガッカリした」というエピソードがあるそうです。

「師匠の木瀬親方(54)=元前頭肥後ノ海=のこだわりです。かねてから、故郷の山の名前を弟子につけたかったみたい。ただ、金峰山本人はあまりお気に召していない様子。というのも、富士山ぐらいのスケールを想像していたようですが、実物は東京の高尾山ぐらいの標高のローカルな山。実際に熊本に足を運んで『こんな小さい山なんだ‥‥』とガッカリしたそうです」
出典:アサ芸プラス
二つ目は、「晴樹」という名前です。
これには特別な思いが込められています。
日大在学中に亡くなった元高校横綱で、師匠の11代木瀬(元幕内・肥後ノ海)とは大学の同期だった成田晴樹さんから取られているとのこと。
大柄で将来がとても期待されていた成田さんの名前を引き継ぐことで、その遺志を継ぐという思いも込められているようです。
木瀬とは大学の同期で、日大在学中に死去した元高校横綱の成田晴樹からつけたそうです。
出典:大相撲&お笑い.com
このように、金峰山関の四股名には、師匠への敬意と先輩力士の遺志を継ぐという二つの重要な意味が込められているのです。
カザフスタン出身力士としての快進撃と注目度

金峰山関は、カザフスタン出身の力士としてどんな活躍をしているのでしょうか?
金峰山関は、2021年(令和3年)9月の新弟子検査に合格し、同年11月場所で初土俵を踏みました。

そして、驚くべきことにわずか5場所で十両に昇進しています。

昨年九州場所で三段目100枚目格付け出しで初土俵を踏み、所要5場所でのスピード出世。
出典:産経新聞
さらに、2023年(令和5年)3月場所で新入幕を果たし、カザフスタン出身初の幕内力士となる快挙を成し遂げました。
日本相撲協会は27日、大相撲春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)の新番付を発表。25歳の金峰山は、カザフスタン出身で初の幕内力士となり「うれしい」と喜んだ。192センチ、174キロの大器。突き、押しを生かし、十両を3場所で通過した。
出典:サンスポ

この急速な成長は、日本の相撲ファンのみならず、カザフスタンでも大きな注目を集めているとのこと。
金峰山関は「お相撲さんはカザフスタンで(自分)1人だけじゃなくて、何人かいてほしい。関取を目指してほしい」と語り、母国に相撲を広める願いを持っているようです。

また、金峰山関は大砂嵐に次ぐ史上2人目のムスリム(イスラム教徒)の幕内力士でもあります。
宗教上の理由から豚肉は食べず酒も飲まないため、部屋のちゃんこも彼に配慮してハラール食となっているようです。

好物は刺身・寿司、特にサーモンだそうです。

2025年(令和7年)1月場所では12勝3敗と健闘し、優勝争いに絡む活躍を見せました。
この結果は、金峰山関の潜在能力の高さを示すとともに、今後の更なる活躍への期待を高めるものとなりました。

カザフスタン出身力士として新たな歴史を刻み続ける金峰山関。
その異色の経歴と急速な成長は、相撲界に新たな風を吹き込んでいます。
まとめ
今回は、金峰山関がカザフスタン出身の力士で、来日エピソードや四股名に込めた思いなどについてお伝えしてきました。
元横綱の朝青龍との運命的な出会いから始まった彼の相撲人生は、驚くべきスピードで進化を遂げています。
四股名に込められた深い意味は、彼の相撲に対する真摯な姿勢を表しています。
カザフスタン出身初の幕内力士として、金峰山関は相撲界に新たな歴史を刻んでいます。
その活躍は、日本の相撲ファンだけでなく、母国カザフスタンでも大きな注目を集めています。
異国の地で相撲に打ち込む金峰山関の姿は、多くの人々に勇気と感動を与えています。
今後も彼の成長と活躍から目が離せません。
それでは、ありがとうございました。
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