「笑点」でもおなじみの人気落語家の林家たい平さん。
そんな林家たい平さんですが、彼には意外な一面があるようです。
それは、美大出身という異色の経歴と落語以外にも多彩な創作活動を行っているということ。
林家たい平さんの美大出身から落語家になるまでの道のり、そして現在の創作活動について知りたいところです。
そこで今回は、
- 美大出身の林家たい平の異色の経歴
- 落語家を志すきっかけと師匠選び
- 林家たい平の多彩な創作活動
主にこの3つについて迫っていきます。
それでは早速本題に入りましょう!
美大出身の林家たい平の異色の経歴

林家たい平さんは、なぜ美術大学を目指したのでしょうか?
調べたところ、林家たい平さんは、高校生の頃は学校の先生になりたいと考えていたそうです。
進路相談の際、担任の先生(東京藝術大学卒の美術の先生)から「美術大学に行って美術の先生になる道がある」と勧められたことがきっかけで、美大受験の勉強を始めたとのこと。
高校生の頃は、学校の先生になりたいと思っていました。進路相談の際にそのことを言うと、担任の先生がたまたま東京藝術大学卒の美術の先生で、「美術大学に行って美術の先生になる道があるよ」と勧めてくれました。そして、その先生が美大受験へ向けての勉強法を指導してくださったおかげで、武蔵野美術大学の造形学部視覚伝達デザイン学科に入学することができました。
出典:岩崎電気株式会社


そして、見事に武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科に合格し、1987年に卒業しています。


大学時代、たい平さんは「デザインは人を幸せにするためにある」という教えに深く感銘を受けたそうです。
この考え方は、後の彼の人生観や創作活動に大きな影響を与えることになります。
大学に入り、まず教わったことは「デザインは人を幸せにするためにある」ということでした。その言葉がずっと脳裏にあるまま学生生活を続け、デザインに興味を持ち、デザインの楽しさに触れるうちに、教師ではなくデザイナーとして生きたいと思うようになりました。
出典:岩崎電気株式会社
卒業制作では、落語家にとって必需品の手ぬぐいをテーマに選んだとのこと。

藍染めの型絵染めで連作のポスターを制作し、「研究室賞」を受賞するという素晴らしい成果を残したそうです。

大学3年の時に落語の魅力に気づき、一刻も早く落語家になりたい気持ちはあったのですが、大学に進ませてくれた親への恩返しのため、そして大学を卒業することで見えてくる風景、経験値を大切にしようと思い、きちんと卒業しようと決め、残りの学生生活はそれまで以上に頑張りました。卒業制作も落語家にとって必需品の手ぬぐいをテーマに、藍染めの型絵染めで連作のポスターをつくり、「研究室賞」をいただきました。
出典:岩崎電気株式会社
落語家を志すきっかけと師匠選び

林家たい平さんが落語家になったきっかけは何だったのでしょうか?
林家たい平さんが落語に真剣に向き合うようになったのは、大学3年生の時だったようです。
一人暮らしのアパートで課題に追われながら聴いていたラジオから、五代目柳家小さん師匠の『粗忽長屋』(そこつながや)という落語が流れてきたとのこと。
課題に取り組む日々を送っていたのですが、大学3年のある夜、家で課題の絵を描いているとラジオから落語が流れてきました。何となく聞いているうちにどんどん引き込まれ、今まで感じたことのない気持ちになったのです。
出典:岩崎電気株式会社

たい平さんは、この体験について次のように語っています。
ラジオですから声しか聞こえないのに、風景が想像できて、人の顔が浮かんでくる。一人でゲラゲラ笑った後とても優しい気持ちになって、課題に追われ、ざらついていた心に軟膏を塗られたような、そんな温かい気持ちでいっぱいになりました。
出典:岩崎電気株式会社
この経験から、たい平さんは「紙に描くだけがデザインではない。心の中をデザインする落語ってすごい」と気づいたそうです。
そして、「人を幸せにするデザインのために、自分が使える画材は落語かもしれない」と考えるようになったとのことです。
その時、紙に描くだけがデザインではない。心の中をデザインする落語ってすごいなと思い、「人を幸せにするデザインのために、自分が使える画材は落語かもしれない」と気がついたのです。
出典:岩崎電気株式会社

大学卒業後の1988年、たい平さんは落語家の林家こん平さんに入門します。

こん平師匠を選んだ理由について、たい平さんはこう語っています。
「オレンジ色の着物を着て『笑点』に出演していた師匠からは、人を笑わせたい、喜ばせたいという圧倒的なパワーを感じた」

その後、1992年に二ツ目、2000年に真打に昇進し、現在では人気落語家として活躍しています。

林家たい平の多彩な創作活動

落語家になった林家たい平さんは、美大出身の経歴を活かした創作活動は続けているのでしょうか?
林家たい平さんは、落語家としての活動だけでなく、美大出身の経歴を活かした様々な創作活動も精力的に行っています。
1. 絵画・イラスト制作
二ツ目時代、放送作家の高田文夫先生主宰の展覧会「やなか高田堂」での作品展示をきっかけに、絵を描く活動を再開したとのこと。


水彩画や木版画の制作、雑誌でのイラスト連載など、幅広い活動を展開しています。

特に、日常的な野菜や植物を題材にした絵を多く描いており、『たい平の野菜シャキシャキ噺』(講談社)というエッセイと絵を組み合わせた著書も出版しています。

2. 波佐見焼の染付
長崎県波佐見町の400年以上の歴史を持つ磁器「波佐見焼」に染付(そめつけ)を施す創作活動を、たい平さんはライフワークとしています。

大学時代の同級生の縁で約30年前に波佐見を訪れ、初めて染付を体験したことがきっかけでした。
もう30数年前に僕の大学時代の同級生が陶磁器の卸問屋に就職しまして、そこの社長さんが落語好きで、僕と出会わせていただいたのがご縁です。
その社長さんに、僕は陶磁器大好きだって話をしたところ、じゃあ今度有田と波佐見に行くから一緒に来るかっていうことでご一緒させていただいたんです、それが30年ぐらい前になります。
一緒に有田、波佐見に行ったのですが、その時、波佐見で今もずっとお世話なってる西山さんという窯元で染め付けをさせていただいて、それがすごく楽しかったんですよ。
出典:ontowa

現在では年に1~2回、1日で150点程度、2日間で300点近い作品を制作することもあるそうです。

たい平さんは、波佐見焼について次のように語っています。
やっぱり、波佐見焼は日常の中に「用の美」がある。
出典:ontowa
やっぱり食卓って笑顔が生まれる場所で、笑顔があるべき場所だと思っています。
少しでも笑顔を作るお手伝いが自分の食器でできるのであれば、それはすごく嬉しいですし、それは自分がやっている落語とすごく共通する部分があります。
出典:ontowa
将来的には、「たい平印」として安価で広く流通する器を作ることを目指しているそうです。
3. 美術館の開設
2022年、たい平さんは故郷の秩父に「たい平美術館」を開館しました。

ここでは、自身の作品だけでなく、収集している日本各地の土人形や張子なども展示しているそうです。
たい平さんは民藝運動や柳宗悦、芹沢銈介の影響を強く受けており、「日常の中に使われるものの中に美しさを感じながら生活することがとても大切」という思いを持っているとのこと。
4. 武蔵野美術大学の客員教授
また林家たい平さんは、現在、武蔵野美術大学の客員教授としても教鞭を執っており、学生たちに「当たり前を当たり前と思わない」という気づきを与える授業を行っています。

まとめ
今回は、林家たい平さんが美大出身という異色の経歴や、落語家を志すきっかけと師匠選び、そして彼の多彩な創作活動についてお伝えしてきました。
林家たい平さんは、美大出身という異色の経歴を持ちながら落語家への道を選び、さらに様々な創作活動を通じて人々に幸せや笑顔を届けることを使命としています。
落語、絵画、陶芸など、あらゆる表現手段を「人を幸せにするための画材」として捉える彼の姿勢は、まさに”笑業デザイナー”と呼ぶにふさわしいものです。
また林家たい平さんは、現在、武蔵野美術大学の客員教授としても教鞭を執っており、学生たちに「当たり前を当たり前と思わない」という気づきを与える授業を行っています。
林家たい平さんの多彩な創作活動から目が離せませんね!
今後益々のご活躍が楽しみです。
それでは、ありがとうございました。
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