安青錦はウクライナ出身?来日から新入幕までの苦労エピソードについてリサーチ!

日本相撲界で急速な出世を遂げ注目を集めているウクライナ出身の安青錦。

そんな安青錦関ですが、ロシアの侵攻から逃れて来日し、わずか約1年半で相撲の最上位階級「幕内」まで上り詰めた彼の物語は、多くの人々の心を打つものとなっています。

安青錦関の来日から新入幕までの道のりと、その過程での苦労エピソードについても知りたいところです。

そこで今回は、

  • 安青錦のプロフィールと来日までの経緯
  • ウクライナ出身力士の日本相撲界での急速な出世
  • 安青錦が経験した来日から新入幕までの苦労

主にこの3つについて迫っていきます。

それでは早速本題に入りましょう!

目次

安青錦のプロフィールと来日までの経緯

出典:中日新聞

安青錦関のプロフィールについて簡単に紹介します。

安青錦新大(あおにしき あらた)関は、2004年(平成16年)3月23日生まれの21歳です。

本名はダニーロ・ヤブグシシンで、ウクライナ中部のヴィンニツァ州の出身です。

身長182cm、体重138kgの恵まれた体格を持ち、現在は安治川部屋(元関脇・安美錦が親方)に所属しています。

出典:スポニチ

では、安青錦関はどういった経緯で日本にやって来たのでしょう?

まず、安青錦関の相撲との出会いは、7歳の頃だったそうです。

最初は柔道クラブに通っていましたが、徐々に相撲に移行していったとのこと。

出典:いらすとや
出典:いらすとや

「柔道より相撲の方が勝てるようになり、勝てる方がもっと好きになった」と語っています。

17歳までフリースタイルレスリングと相撲の両方に取り組み、ウクライナの国内大会で優勝するほどの実力を持つようになったとのことです。

ヨーロッパだと、相撲だけやっているという人はいないですね。レスリングや柔道をやりながら相撲もする、という人はいます。

出典:日刊ゲンダイDIGITAL

幼少期から「日本で力士になる」という夢を抱いていた安青錦関。

出典:いらすとや

しかし、2022年(令和4年)2月のロシアのウクライナ侵攻により、その夢が危機に瀕します

出典:iStock

当時17歳だった彼は、国外に避難しドイツへ渡りました。

出典:PIXTA

ウクライナでは18歳になると出国が認められなくなるため、この時点で出国しなければ夢をあきらめなければならない状況に直面していたのです。

出典:いらすとや

そんな中、安青錦関は、2019年(令和元年)に堺市で開かれた世界ジュニア相撲選手権大会で知り合った関西大学相撲部の山中新大さんに「日本に行けませんか?」とメッセージを送ったそうです。

出会いは2019年に堺市で開かれた世界ジュニア大会。当時、関大1年の山中さんは、18歳以下で3位になった外国人の少年に「相撲がきれいで強い」と目を奪われた。会場内で声をかけ、大会後も交流サイト(SNS)を通じて交流を続けた。

出典:東京新聞
出典:東京新聞

山中さんの協力により、2022年(令和4年)4月、安青錦関は単身来日することができました。

出典:毎日新聞

関大相撲部コーチの山中新大(あらた)さん(25)。ロシアの侵攻を受けた母国から戦火を逃れて来日した安青錦を受け入れ、角界入りも手助けした。

出典:東京新聞

ウクライナ出身力士の日本相撲界での急速な出世

出典:日刊ゲンダイDIGITAL

安青錦関は、来日してから新入幕までどのように過ごしてきたのでしょう?

安青錦関は、来日してから山中さんの神戸市の実家に下宿しながら、昼は神戸の日本語学校で授業を受け夜は関西大学相撲部の土俵で稽古に励む日々を送っていたそうです。

神戸市の山中さんの実家で下宿しながら、同大相撲部で練習生として稽古に励み、同12月、安治川部屋(東京)に入門した。

出典:読売新聞オンライン
出典:神戸新聞NEXT

当初は日本語も話せず、周囲の会話も理解できない状況でしたが、その困難を乗り越えて急速に日本語を習得していったとのこと。

出典:note

8ヶ月間の関西大学相撲部での稽古を経て、2022年(令和4年)12月に安治川部屋に入門

出典:日刊スポーツ

2023年(令和5年)9月場所で初土俵を踏みました。

出典:サンスポ

そこから驚異的なスピードで番付を上げ、わずか9場所(約1年半)で幕内(東前頭15枚目)まで駆け上がるという、序ノ口(最下位)からスタートした力士としては歴代最速タイの昇進を果たしました。

出典:時事通信

2025年(令和7年)3月の春場所で新入幕初場所を迎えた安青錦関は、11勝4敗の好成績で「敢闘賞」を獲得

出典:日本経済新聞

5月の夏場所では東前頭9枚目まで番付を上げ11勝4敗の好成績で二場所連続で「敢闘賞」を受賞しました。

出典:日本経済新聞

来場所も、さらなる活躍が期待されます。

安青錦が経験した来日から新入幕までの苦労

出典:熊本日日新聞社

安青錦関は、来日してから新入幕までの急速に出世しましたが、その裏に何かあったのでしょうか?

調べたところ、安青錦関の急速な出世の裏には、多くの苦労があったようです。

以下に、彼が経験した主な苦労エピソードをご紹介します。

1. 言葉の壁

出典:www.ac-illust.com

日本語を全く話せない状態での来日でしたが、相撲部屋での生活を通じて急速に習得したそうです。

安青錦関は、「1年半ぐらいだと思います。日本語を話す環境にいれば、たとえ習得する気が無くても勝手にできるようになります。常に母語を使わず日本語で話すわけですから」と振り返っています。

出典:朝日新聞

元関西大学相撲部主将の坂本明優さんは、安青錦関の日本語の習熟スピードを「恐ろしく早い」と評しています。

勉強というか、みんなと一緒にいるのが勉強になる。言葉を聞いて、教えてもらって、その言葉を使うこと。しゃべって間違えることは恥ずかしくない。どんどん自分でしゃべって覚える(ことが大事)。

出典:日刊ゲンダイDIGITAL

2. 力士生活の厳しさ

序ノ口から三段目までの力士は、部屋の掃除や洗濯、ちゃんこ作りなど、様々な雑用を担当します。

出典:スポーツ報知

安青錦関も「序ノ口から三段目までの力士は全員、交代でちゃんこを作ります。十両に昇進すると、ちゃんこ番を卒業し、自分に作って貰うちゃんこも選べるようになります」と話しています。

出典:サンスポ

また、給与面でも「幕下以下の力士には給与が支払われません」と語っており、十両昇進までの経済的苦労もあったことがうかがえます。

3. 身体作りの苦労

来日当初から40キロ増量したという安青錦関。

「たくさん食べるのが苦手だった」と語っており、力士に求められる体格作りに苦労したことがわかります。

たくさん食べるのが苦手だったが、体重は来日当初から40キロ増えた。「真面目に一生懸命頑張ってきてよかった。番付に載るしこ名の文字が少し大きくなったのはうれしい」と笑顔を見せた。

出典:読売新聞オンライン

しかし、この努力が彼の急速な出世につながったと言えるでしょう。

出典:X

4. 母国との絆と心配

安青錦関の両親は現在もドイツに避難中とのこと。

両親? 両親はいま、ドイツにいるんです。お母さんはもともとドイツのクリーニング会社で働いていて、戦争が始まってからはお父さんも同じ会社で働いています。

出典:日刊ゲンダイDIGITAL
出典:note

安青錦関は、「毎日ウクライナのことを心配している」と語り、「勝つ姿を見せたい」と闘志を燃やしています

出典:さくらいろの花

さらに安青錦関は、

「一番一番集中し、優勝を目指して頑張る。ウクライナの人たちに強い姿を見せたい」

出典:読売新聞オンライン

と誓っています。

出典:サンスポ

まとめ

今回は、ウクライナ出身の安青錦関が、来日してから新入幕までの道のりと、その過程での苦労エピソードについてお伝えしてきました。

安青錦関は、来日から新入幕までの道のりは、多くの苦労と挑戦に満ちたものでした。

言葉の壁、力士生活の厳しさ、身体作りの苦労、そして母国への思いを抱えながら、彼は驚異的なスピードで日本相撲界の頂点を目指しています。

「目標は横綱」と意気込む安青錦関。

支えてくれた人々への恩返しと、祖国ウクライナに希望を届けるため、さらなる高みを目指して稽古に励んでいます。

21歳の若さで、異国の地で伝統ある日本相撲界の最上位まで駆け上がった彼の活躍は、世界中の人々に勇気と希望を与え続けるでしょう。

安青錦関の物語は、戦火の中で夢を追い続ける若者の勇気と、国境を越えた人々の絆を象徴しています。

安青錦関の今後の活躍から目が離せません。

それでは、ありがとうございました。

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