女優として輝かしい経歴を持ち、冒険家としても偉業を成し遂げた和泉雅子さんが、2025年7月9日午後1時3分、原発不明がんのため東京都内の自宅で死去されました。
77歳でした。
和泉雅子さんは、1960年代の日本映画界を代表する女優の一人であり、日本人女性として初めて北極点到達を果たした冒険家でもありました。
本記事では、和泉雅子さんの訃報と原発不明がんについて詳しく解説するとともに、彼女の輝かしい経歴と偉業を振り返ります。
原発不明がんとは何か?和泉雅子さんの訃報と病気の詳細

和泉雅子さんの訃報が伝えられ、多くの人々に衝撃を与えています。
関係者によると、和泉さんは5月に自宅で倒れて入院し、退院後は自宅で療養していましたが、7月9日に体調が急変したとのことです。
生前葬をすませており、故人の遺志で告別式やお別れ会は行われないとのことです。
和泉雅子さんが亡くなった原因とされる「原発不明がん」について、詳しく解説します。
原発不明がんとは、転移したがんが発見されているにもかかわらず、十分な検査を行ってもがんが最初に発生した臓器(原発巣)が特定できないがんのことを指します。
主な特徴は以下の通りです。
- 希少がん:人口10万人あたり6例(人)未満の発症率
- 転移先の症状:リンパ節、胸膜、腹膜、肺、肝臓、骨などに現れる
- 診断の困難さ:原発巣が特定できないため、適切な治療法の選択が困難
原発不明がんの主な症状には以下のようなものがあります。
- リンパ節転移:首、わきの下、太ももの付け根などの腫れ
- 胸膜・腹膜転移:胸水や腹水による息苦しさ、腹部膨満感
- 肺・肝転移:咳、胸痛、腹部の不快感
- 骨転移:痛み、骨折、しびれ、麻痺
原発不明がんは、その性質上、標準的な治療法が確立されていない場合が多く、がんの特徴や転移の状態に応じて個別に治療方針が決定されます。
和泉雅子さんの輝かしい女優経歴

和泉雅子さんは、1947年7月31日に東京都中央区銀座で生まれました。
彼女の女優としてのキャリアは以下のように輝かしいものでした。
- 1961年:日活に入社
- 1963年:映画「非行少女」で主演、モスクワ国際映画祭で金賞受賞
- 1960年代:吉永小百合、松原智恵子と共に「日活三人娘」として絶大な人気を誇る
- 1966年:山内賢とのデュエット曲「二人の銀座」が大ヒット


和泉雅子さんの代表作品には以下のようなものがあります。
- 映画「非行少女」(1963年)
- 映画「絶唱」(1966年)
- 映画「男の紋章」シリーズ
- 楽曲「二人の銀座」「東京ナイト」

和泉雅子さんは、清純で可憐な魅力で多くの人々を魅了し、1960年代の日本映画界を代表する女優として大きな足跡を残しました。
北極点到達を果たした冒険家としての和泉雅子さん

和泉雅子さんは、女優としての活動だけでなく、冒険家としても大きな偉業を成し遂げました。
小学生の頃から南極越冬隊に憧れを持っていた和泉さんは、1983年から1984年にかけて、テレビ東京のドキュメンタリー番組のレポーターとして南極に行きました。
そこで壮大な自然景色に感激したことが、北極点への挑戦のきっかけとなりました。
和泉雅子さんの北極点到達への挑戦は以下のように進みました。
初回の挑戦(1985年)
- 1985年3月21日:カナダのワードハント島近くの氷上から出発
- 1985年3月23日:スノーモービルで北極点を目指す
- 1985年5月22日:北緯88度40分(北極点まで残り148km)で最接近
- 1985年5月23日:気温上昇による氷の割れ目拡大で断念
成功への道(1989年)
- 1989年3月9日:再挑戦開始
- 1989年5月10日:日本人女性として初めて北極点到達を達成
この偉業により、和泉雅子さんは極地探検の歴史に名を刻むことになりました。
北極点への挑戦には1億円以上の費用がかかり、和泉さんは多額の借金を抱えることになりました。
しかし、「地球のてっぺんに立ちたい」という夢を追い続け、ついに実現させたのです。

和泉雅子さんのその他の活動には以下のようなものがありました。
- 真言宗の僧侶としても活動
- 東京都港区白金台でホテル経営
- 後年はトランクルーム業も経営
まとめ
和泉雅子さんが原発不明がんで77歳で亡くなったことは、多くの人々に衝撃を与えました。
女優として1960年代の日本映画界を代表する存在であり、冒険家として日本人女性初の北極点到達を果たした和泉雅子さん。
彼女の人生は、夢を追い続ける情熱と、困難に立ち向かう勇気の象徴でした。
原発不明がんという難しい病気と闘いながらも、最後まで自身の意志を貫いた和泉さんの生き方は、多くの人々に影響を与え続けるでしょう。
現在、がん治療の技術は日々進歩しています。
和泉雅子さんの訃報を機に、原発不明がんを含むさまざまながんの研究がさらに進むことが期待されます。
和泉雅子さんのご冥福をお祈りいたします。
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