大相撲の世界で活躍する力士たちの中には、様々な背景を持つ力士がいます。
その中でも、時疾風(ときはやて)の経験は特に印象的です。
東日本大震災を経験し、その後、力士を志すまでの道のりは、多くの人々に勇気と希望を与えています。
本記事では、時疾風関の震災体験から力士になるまでの軌跡を詳しく紹介します。
被災後の苦労話や、なぜ力士を志すことになったのか知りたいところです。
そこで今回は、
- 時疾風の震災体験と被災後の生活
- 力士を志すきっかけとなった東日本大震災
- 時疾風の相撲への道のり
主にこの3つについて迫っていきます。
それでは早速本題に入りましょう!
時疾風の震災体験と被災後の生活

時疾風関の震災体験と被災後の生活は、どのようなものだったのでしょうか?
時疾風関(本名:冨栄秀喜)は1996年(平成8年)生まれの宮城県栗原市出身です。

東日本大震災が発生した2011年(平成23年)、彼はまだ中学2年生でした。
震災当日の体験
震災当日、時疾風関は学校の体育館におり、翌日に控えた先輩の卒業式の準備をしていたとのこと。
被災したのは中学2年のとき。卒業式の準備をしていた体育館の天井の照明が大きく揺れ、すぐに走って逃げ出した。
出典:産経新聞
と、当時を振り返っています。
突然の激しい揺れに、恐怖を感じながら避難したことが伺えます。

被災後の厳しい生活
震災後、時疾風関とその家族は約1か月間、非常に困難な生活を強いられたそうです。
宮城県栗原市出身の十両時疾風は中学2年の時に被災。ライフラインが止まり、約1カ月間は井戸水やろうそくを使った生活を余儀なくされた。
出典:産経新聞
と語っているように、ライフラインが完全に断絶した状況での生活を余儀なくされたようです。

これらの経験は、若き日の時疾風関の心に深く刻まれることとなりました。
心に刻まれた被災地の光景
震災から少し経って、時疾風関はそれまでよく訪れていた海岸地域を訪れたようですが、そこで目にした光景は、彼の心に強い衝撃を与えるものだったそうです。
なじみのあった南三陸の海岸は津波で流され、「更地みたいになっていた」。
出典:スポーツ報知

なじみのあった南三陸の海岸が津波で流され、更地のようになっていた光景は、時疾風関の心に深く刻まれることとなりました。
力士を志すきっかけとなった東日本大震災

時疾風関が力士を志すきっかけとなったのは何だったのでしょうか?
調べてみたところ、時疾風関が相撲を始めたのは小学校2年生の時だったそうです。
これは震災とは直接関係ありません。
しかし、震災体験が彼の人生に大きな影響を与え、最終的に力士への道を選ぶ決定的な要因となったとのことです。
被災者を元気づけたいという思い
震災後、時疾風関の心には被災者を元気づけたいという強い思いが芽生えたそうです。
南三陸などよく行っていた海岸に震災後に足を運び、衝撃を受けた。「ちょっと落ち着いたころに見に行ったんですけど、本当に更地っていうんですか、真っさらに。それを見た時に中学生ながら、相撲で元気づけられるのかなって、ちょっと思ったんでしょうね」と振り返った。
出典:デイリースポーツ
この言葉からは、若くして大きな使命感を抱いていたことが伺えます。

教員から力士への転換
実は、時疾風関は当初、大学進学後に教員になることを志していたとのこと。
しかし、震災の経験が彼の人生の方向性を大きく変えることになったようです。
故郷を離れ、東農大に進学。当時を「頭の片隅に震災のことがあった」と振り返る。教員免許も取得したが、4年時に相撲に不完全燃焼だったこともあり、角界入りを決意した。新十両昇進とともに「地元を勇気づけたい」と恩返しの思いが強くなった。
出典:スポーツ報知
「震災もあったので、自分の相撲を見た人たちを勇気づけられたらいいなという思いがずっとあります」

夢と地元の復興への思いが後押しして、最終的に大相撲の世界へ進むことを決意したのですね。
時疾風の相撲への道のり

時疾風関の相撲人生は、いつからだったのでしょうか?
時疾風関の相撲人生は、震災よりもずっと前から始まっていたようです。
その軌跡を追ってみましょう。
相撲との出会い
時疾風関が相撲を始めたのは小学校2年生の時でした。
「相撲は楽しかったのかなぁ…。痛かったんですよね、相撲って。練習はあんま好きじゃなかったと思います。でも大会とかでて勝てちゃって、うれしくて。ほかにもサッカー、ソフトバレー、水泳とか、本当に体を動かすのが好きでしたね。今はインドア派なんですけど、昔は活発な子どもでした」
出典:NHK
中学進学後は相撲部の活動日の都合で他のスポーツをやめ、相撲に専念することになったそうです。

プロへの道
震災を経験し、力士を志すことを決意した時疾風関は、着実にその夢に向かって歩んでいきました。
「不完全燃焼だったからですね。大会とかでも全然結果を残せず、同級生もいっぱい相撲界で活躍しているのを見て、まだやりたいなという風に卒業間近に思って。入門しました」
出典:NHK

入門後の時疾風関は、
- 2023年(令和5年):宮城県出身28年ぶりの新十両昇進を果たす
- 2024年(令和6年):宮城県勢27年ぶりの新入幕を達成
宮城県出身の関取復活は18年ぶりという快挙となり、地元の期待を一身に背負う存在となりました。
現在の思い
時疾風関は現在も震災の記憶を胸に、被災地への思いを持ち続けているようです。
(被災した皆さんは)ほんと大変だったと思います。今も震災復興は続いていると思うので、盛り上げられる、元気を与えられるような相撲を取りたいなっていう風には常々思っていますね」
出典:NHK

毎年3月11日の取組では、特別な気持ちで土俵に上がっているそうです。
宮城県出身の時疾風「いつも気合を入れているが今日は特に」震災から14年、地元に白星届けた
出典:日刊スポーツ
2025年(令和7年)3月11日の取組では幕内で白星を挙げ、被災地に勇気を届けました。

この姿勢は、多くの人々に感動を与えています。
まとめ
今回は、時疾風関の震災体験から被災後の苦労、なぜ力士を志すことになったのかについてお伝えしてきました。
震災当時の恐怖や被災後の厳しい生活、そして被災地の変わり果てた姿は、若き日の時疾風関の心に深く刻まれましたが、彼はその経験を乗り越え、被災者を元気づけたいという強い思いから力士の道を選びました。
小学2年生から始めた相撲が、震災を経て人々に勇気を与える手段となり、プロの力士としての道を歩むきっかけとなったのです。
現在、時疾風関は宮城県出身の関取として、地元の誇りとなっています。
彼の相撲に込められた思いは、多くの人々の心に響き、被災地の復興への希望となっています。
時疾風関の物語は、困難を乗り越え、夢を追い続けることの大切さを教えてくれます。
これからも彼の相撲を通じて、多くの人々に勇気と希望が届けられることでしょう。
時疾風関の今後の活躍が楽しみですね。
それでは、ありがとうございました。
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