大相撲の世界で外国出身力士の活躍が目覚ましい昨今、新たな注目を集めているウクライナ出身の獅司。
そんな獅司関ですが、来日から今日までの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
獅司関の来日から新入幕までの軌跡と、彼が経験した苦労や乗り越えてきた困難について知りたいところです。
言葉の壁、文化の違い、そして相撲部屋での厳しい生活、これらすべてを乗り越え、ついに夢を実現させた獅司関の物語は、多くの人々に勇気と希望を与えるものです。
そこで今回は、
- 獅司のプロフィールとウクライナからの来日
- 来日後の苦労:言葉の壁と相撲部屋での生活
- 獅司を支えた「家族」と新入幕への道のり
主にこの3つについて迫っていきます。
それでは早速本題に入りましょう!
獅司のプロフィールとウクライナからの来日

ウクライナ出身の獅司関は、どういう人物で、どういった経緯で来日したのでしょうか?
まずは、獅司関の基本的なプロフィールから見ていきましょう。
- 本名:ソコロフスキー・セルギイ
- 出身地:ウクライナ・ザポリージャ州メリトポリ市
- 生年月日:1997年1月16日(27歳)
- 所属:雷部屋(当初は入間川部屋)
- 来日年:2018年(平成30年)
- 初土俵:2020年(令和2年)3月場所
- 新十両:2023年(令和5年)7月場所
- 新入幕:2024年(令和6年)11月場所(九州場所)
獅司関は幼少期から体格に恵まれ、10歳で体重120キロという大型選手だったそうです。
小さい頃から体が大きかった獅司。10歳の頃にはすでに体重が120キロあったというから驚きだ。スポーツ大好き少年で、「8歳からレスリングを始めたっす。その前は学校でサッカー、バスケットボール、バレーボール。スポーツなんでもしました」と語る。
出典:Yahoo!ニュース
8歳からレスリングを始めましたが、体重制限の問題で15歳から相撲に転向。
その後、ヨーロッパジュニア相撲選手権で優勝、世界ジュニア相撲選手権で3位入賞という実績を残し、日本にスカウトされることとなったようです。

相撲と出会ったのは15歳のとき。体重が100キロ以上あるとレスリングの大会に出られないため、相撲の大会に出ることになった。ただ、土俵があるわけではないので、普段はレスリングの練習をし、大会にだけ出ることに。すると、ヨーロッパのジュニアチャンピオンになり、その後の世界大会では3位に入賞する活躍を見せた。
出典:Yahoo!ニュース
2018年(平成30年)、獅司関は大相撲の世界に飛び込むため、単身日本へ渡ります。

世界大会3位になって、日本においでってスカウトされた。
出典:Yahoo!ニュース
しかし、彼を待ち受けていたのは、想像以上の困難でした。
来日後の苦労:言葉の壁と相撲部屋での生活

来日してからの獅司関の生活はどうだったのでしょうか?
獅司関の来日後の生活は、まさに試練の連続だったようです。
以下に、彼が直面した主な困難をご紹介します。
言葉の壁とホームシック
「最初の1〜2年、ずっと泣いてたっす。日本語わかんない。あと寂しい」と獅司関は当時を振り返ります。

日本語も英語もわからない状態で、コミュニケーションに大きな困難を抱えていたようです。
慣れない環境での孤独感も、彼を苦しめる要因となったとのこと。
日本語も英語もわからない獅司は、言葉の壁とホームシックに苛まれた。
出典:Yahoo!ニュース
食事と体重の激減
日本の食文化への適応も大きな苦労の一つだったそうです。

ウクライナでの主食はパンで、白米はおかずの一種だったため、どんぶり飯を大量に食べることはカルチャーショックだったようです。

来日直後は10キロ以上体重が減ってしまったほどでした。
どんぶり飯を大量に食べることも、カルチャーショックの一つだった。ウクライナでの主食はパン。白米はおかずの一種なのだそう。
出典:Yahoo!ニュース
相撲部屋での生活に慣れるまで
外国出身力士には初土俵前に半年から1年の試用期間があります。

早朝からの稽古に加え、掃除、洗濯、買い出しなど部屋の雑用をこなす必要がありました。
しかし、苦労はここからだった。外国出身力士たちは、日本の生活や風習に慣れるためにと、初土俵の前に半年~1年ほどの試用期間が設けられている。早朝から稽古し、掃除や洗濯、買い出しなど、部屋の雑用をこなす。
出典:Yahoo!ニュース
一人でちゃんこの買い出しに行く際も、「これお願いします」と指をさしながら伝えるなど、必死にコミュニケーションを取っていたそうです。
部屋の移籍
最初に時津風部屋で稽古をしていましたが、外国出身力士は部屋に一人までという規則により、当時の入間川親方(元関脇・栃司)にお願いして入間川部屋に入門することになりました。
外国出身力士は部屋に一人までと決まっており、すでに外国出身力士がいた時津風部屋に入門することはできなかったため、当時の入間川親方(元関脇・栃司)にお願いして、入間川部屋に入ることになった。獅司はその経緯を「ラッキーです」と振り返り、ニコニコ笑う。
出典:Yahoo!ニュース
現在は雷部屋として活動しています。

獅司を支えた「家族」と新入幕への道のり

来日してから苦労の毎日を過ごす獅司関の支えになったものは何だったのでしょう。
厳しい環境の中で獅司関を支えたのは、新たな「家族」の存在でした。
雷部屋のおかみさん
雷部屋のおかみさん・垣添栄美さんを獅司関は「ママ」と呼び、母親代わりとして慕っています。

栄美さんは女子相撲で3度の日本一に輝いた経験があり、獅司関の技術指導にも携わっています。

彼女の存在は、獅司関にとって大きな心の支えとなっているようです。
獅司がママ、と呼び慕っているのが、おかみの垣添栄美(かきぞえ・えみ)さんです。 実はおかみさんは、女子相撲で世界チャンピオンに輝いたこともある、 最強のおかみさん!
出典:NHK
家族への仕送り
戦禍にあるウクライナの両親に対し、獅司関は手当や給与の半額以上を仕送りしているとのこと。

「今、ママとパパは大変だから。頑張って幕内でお金をいっぱいもらって、ウクライナに送る」と語り、これが最大のモチベーションとなっているそうです。
戦時下にある故郷の両親には、関取になる前から手当の半額を仕送り。「ママ、パパ、大変だから、獅司頑張らないといけない。いっぱいお金を送ります」とさらなる親孝行を誓った。
出典:西スポWEB OTTO!
新入幕への道のり
2020年(令和2年)3月に初土俵を踏んでから約4年半で新入幕を果たしました。

その間、持ち前の明るさと「獅司ジョーク」(「うれ獅司」「かな獅司」など)で周囲を和ませながら、着実に番付を上げていきました。
2024年(令和6年)11月場所でウクライナ出身初の新入幕を果たし、祖国の家族と日本の「家族」である雷部屋の人々に支えられながら、大相撲界で活躍を続けています。
ロシアの軍事侵攻でいまだ戦時下にあるウクライナ出身初の関取、獅司(27=雷)が東前頭16枚目で新入幕を果たし、ウクライナ在住のママ、パパへ活躍を誓った。
出典:日刊スポーツ
まとめ
今回は、獅司関のウクライナ出身力士としての来日から新入幕までの道のりは、多くの苦労と挑戦に満ちたエピソードについてお伝えしてきました。
言葉の壁、文化の違い、相撲部屋での厳しい生活など、様々な困難に直面しながらも、彼は諦めることなく前進し続けました。
彼の成功の鍵となったのは、持ち前の明るさと前向きな姿勢、雷部屋の「家族」からの支援、祖国の家族を支えたいという強い意志、そして相撲に対する情熱と努力です。
獅司関の物語は、言葉や文化の壁を乗り越えて夢を実現する外国出身力士の典型的な成功例として、多くの相撲ファンに愛され続けています。
彼の今後の活躍が、ますます期待されるところです。
それでは、ありがとうございました。
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